Jun 08, 2010
シャンデリアを飾っている場合
シャンデリアを飾っている場合に。そのような家庭は、自分の知っている人の中にはない。まず、ホテルのようなところにいるか、お金持ちのリビングやしかないため、購入機会はないと思う。しかし、インテリアショップに考えている以上に多くのシャンデリアがあることを知っているか。それでも我が家には縁がないと思う。12月にも頃には、どの街でもあちこちで、素敵なクリスマスイルミネーションが光を出して、なぜか人の気持ちもそわそわしています。輝く彼らは、なんとなくシャンデリアに似てではないでしょうか。吊り下げていた、キラキラしているシャンデリアは、まるで室内の照明でもあります。
【原発のあるまち】黎明
「(福島第1原発事故後の国の)対応は遅い。しかし、私たちは40年間、原発と『共存共栄』でやってきたし、信じるしかなかった」
約270人の会員を抱える福島県大熊町商工会会長の蜂須賀禮子(はちすかれいこ)(59)は、町と原発とのつながりの深さをこう表した。
東京五輪を翌年に控えた昭和38年夏、東京電力は福島原発建設に向けて国鉄(当時)常磐線大野駅前に、仮事務所を開設した。その場所を提供したのは当時豆腐店を営んでいた蜂須賀の父だった。東電はこの事務所を拠点に県と協力しながら、周辺環境の調査だけでなく、原発に対する住民の意識も調べた。
一方で320万平方メートルの原発用地の買収は東電と県開発公社がそれぞれ分担。漁業補償交渉も進められたが、地元では「原発はたいへんな発展をする要素だ」という意識が強く、反対はなかったという。
46年3月に原発1号機が営業運転を始めた。農閑期に出稼ぎに行っていた男たちは、町に進出してきた原発関連企業で職を得ることができ、レストランや喫茶店、バーなどの飲食店の開店が相次ぎ、住民は何らかのかたちで原発とかかわることになった。
50年代に原子力担当課長を務めた元町職員(76)はその蜜月ぶりを振り返る。
「東電には渉外担当の社員がいて、私を窓口にして、町の偉い人と交流をはかった。懇親会をやるときには、たとえば新年会は東電さん、忘年会は町で費用を負担することもあったと思う」
一方、東電は原発の安全性のPRには腐心していた。定期的に町の幹部や議員に原発のしくみを教え、いかに安全であるかをアピールした。
元職員が特に印象に残るのは、今回の水素爆発で判断の遅れを指摘された、原子炉内のガスを外部に放出する「ベント」という言葉だ。「『圧力が高まる事態が起きたら、この弁を、それでもダメならこの弁を、最悪の場合は3番目の弁を開けるんだ。だから安全なんだ』と、ベントという言葉を盛んに強調していたことを記憶している」
「住民目線の監視をしてきたつもりだったが…」
大熊町から西へ100キロ、町ごと避難した会津若松市内の町役場出張所で、原子力担当の企画調整課長、秋本圭吾(58)は反省の意味を込めて語った。秋本は6月18日、原発の状況を視察したが、津波と爆発による惨憺(さんたん)たる状況にがくぜんとした。
秋本によると、原発は町にとっては不可欠だが、安全を軽視していた意識はなかった。大熊を含めた周辺4町と県、東電で構成する「安全確保技術連絡会」を年に4回は開き、協議してきた。「しかし、電源を喪失したらどうか、想定外の津波が来たらどうかなど、根底から見つめ直すような議論はなかった」。ただ、秋本や町長の渡辺利綱(64)は安全神話を過信したことを戒めながら、「国策で進められる原発に協力してきた自負がある」と口をそろえた。
いま町外で避難する住民の心の支えは「必ず大熊に帰る」ということ。会津若松市で夫(78)と避難生活をおくる女性(76)は「福島でできた電気を使っているのは東京の人たち。何でこんなことになるのか…。悔しくて、悲しい」と唇をかみしめた。
かつて原発行政に携わった元町職員は、過去を悔やむかのようにこう締めくくった。
「東京で節電だ、計画停電だぁなんて大騒ぎしてるが、山手線が一日止まるなんてありますか。こっちはいつ帰れるかわからない。こんなことで町を追ん出されるんだったら、50年前のままの生活でもよかった」(敬称略)
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東日本大震災で一部区間が不通となっている八戸線(青森県・八戸駅−岩手県・久慈駅間、64・9キロ)の復旧計画を検討してきた地元自治体とJR東日本が、来年4月をめどに震災前と同じルートで全線運転再開することで合意していたことが27日、分かった。被災した在来線7線区(八戸、山田、大船渡、気仙沼、石巻、仙石、常磐)のトップを切り、全線で復活することになる。
八戸線は階上(はしかみ)−久慈間が津波の直撃を受け、宿戸(しゅくのへ)−陸中八木間の橋桁が約40メートルにわたって流失したほか、線路の埋没や駅舎損壊などが相次ぎ、被害は60カ所に上った。
その後、八戸−階上間で運転を再開し、階上−種市間は8月8日から暫定ダイヤで運行を開始。残る種市−久慈間について、両者で復旧ルートや防災面を含む安全対策を協議してきた。その結果、自治体を中心にまとめた沿線復興計画で、市街地や集落を移転しないことが決まったことから、震災前の既存ルートで復旧を進め、12年度初めまでに種市−久慈間での運転再開にめどがついた。工事完了まで、同区間はバスで代行輸送する。
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