Sep 06, 2010

勉強時にLED蛍光灯を使用しています

私は勉強している場合のように机の上にLED蛍光灯を使用しています。目に悪い光であり、明るく、長くして、しかも電気代も通常の蛍光灯に比べて安価そう、非常に便利なものです。 LED蛍光灯を使用する前には電球を使用したが、すぐに消耗していたので交換して良かったと思っています。電球の明るさも嫌いではありませんが、勉強するには、LEDのほうがいいですね。
HIDは、車のライトのようだ。 HIDランプは、通常の光よりも青色がかった色をしていて、見た目もきれいな光を放つ。夜、黒い街灯の少ない道路などで威力を発揮するようなイメージだ。通常の車両ではなく、オプション仕様の車に似合いそうなライトである。夜道のドライブに似合いそうだ。ファミリーカーではなく、セダンタイプの車に装着してほしい。
 【カイロ】29歳の好青年、モアズ・アブデル・カリムは、カイロで最近のデモを計画した若き活動家の一人だが、ムスリム同胞団の新しい側面の代表と言える。女性の権利、宗教的自由、政治の多元的共存についての彼の考え方は、西側の民主主義的価値と一致する。彼は、エジプトで民主主義と人権を勝ち取ることに取り組んでいる。

 ムスリム同胞団が持つもうひとつの顔は、昨年1月に最高指導者に就任した保守派で66歳の獣医、モハメド・バディだ。バディ氏は最近、ムスリム同胞団がユダヤ人に対して「聖戦の御旗を引き続き掲げる」方針を明らかにするとともに、ユダヤ人は同胞団にとって「第一、かつ最大の敵」だと述べている。彼は米国の「帝国主義」に反対し、イスラム国家建設の必要性を唱えている。

 1979年のイラン革命以来、この地域で最も劇的となった市民蜂起を受けて、ムバラク大統領が今月11日に辞任。ムスリム同胞団はエジプト政治の重要な役割を担おうとしている。そこで多くの人が抱く疑問は、「誰の同胞なのか」ということだ。

 1月25日から始まったデモを組織するうえで重要な役割を演じ、在任期間29年のムバラク大統領を辞任に追い込んだのは、カリム氏と、彼よりもさらに若く寛容な仲間達だ。しかし、依然として、ムスリム同胞団の指導部の大半を占めるのは、保守的で反西側の守旧派だ。

 バディ氏は昨年9月、同胞団のウェブサイトの記事の中で、米国についてこう書いている。「モラルと人間の価値を擁護しない国が人類を導くことは不可能だ。アッラーの思し召しによれば、そのような国に富は根付かない」

 バディ氏の文章はこう続く。「レジスタンスがユダヤ・米国の尊大と専制に対する唯一の解決だ。アラブとイスラムの人々に必要なことは、レジスタンスの支持である。・・・ガザのムジャヒディン(聖戦士)の兄弟に告ぐ。辛抱し、聖戦を貫け。そうすれば、アッラーとともに生きられるということが分かるだろう」

 カリム氏は14日、世俗派数グループの若きリーダーとともに記者会見を行い、エジプトの民主主義移行の進め方について意見を述べ、軍の協力を称賛した。彼らの第一の主張は、広範な野党勢力を含む統一政府の実現だ。

 ムスリム同胞団は、12日に自由公正な選挙を求めた同様のメッセージを発表している。同胞団は、同組織の政権奪取に対する懸念を和らげるために、大統領選挙で候補を擁立せず、議席の過半数取得を目指さない方針も示した。

 しかしながら、エジプト人も海外も慎重な見方を崩していない。ムスリム同胞団が今後、新たに得る政治的利益をどのように利用するのか、また同組織の穏健派が影響力を維持できるのかが不透明なためだ。

 米ケント州立大学の政治学教授で、エジプトで長年ムスリム同胞団の研究を行ったジョシュ・スタシェル氏は、「同胞団の全容は明らかになっていない。大きな集団で、さまざまな意見が存在する。イスラエルを常に非難する者もあれば、イスラエルに関心を示さず、識字率の向上に熱心な向きもある」と述べた。

 イスラエルは、ムスリム同胞団に穏健派がいるとするなら(イスラエル政権幹部の多くはこのことに疑問を抱いている)、その穏健派が急進派に駆逐される可能性を懸念している。

 ムスリム同胞団の保守派はここ何年も、反イスラエル的なコメントを出し、イスラム原理主義組織ハマスに資金援助を行ってきた。イラク、アフガニスタンの米兵士に対する攻撃を支持する発言も行っている。

 米国は、静観する構えのようだ。オバマ大統領はフォックス・ニュースのインタビューで、ムスリム同胞団の反米姿勢は認識しているとしながらも、同胞団はエジプトで大多数の支持を得ておらず、政治プロセスに含まれるべきとの見方を示した。大統領は、この問題を「ムスリム同胞団か、エジプト市民の抑圧かの二者択一にしないことが重要だ」述べている。

 非合法のムスリム同胞団は、若年層と年配者、改革派と強硬派の対立を抱えている。エジプト政府が国家の脅威として留意してきたのは強硬派だ。

 しかし近年、同胞団の中でも現実路線の陣営が、世俗的な野党活動家と手を結んだ。彼らがムバラク大統領を辞任に追い込んだことで、守旧派との権力争いに有利に働いたもようだ。

 1990年代にムスリム同胞団を去り、中道党を結成したエッサム・スルタン氏は、「ムスリム同胞団自体に革命の功績はないが、一部派閥にはそれがある。彼らは総じて近代的な考え方を持っている。このことで、同派閥は高い評価を得るべきだ」と述べた。

 一部の派閥が勢いを得たことにより、ムスリム同胞団の穏健派が影響力を不動のものにできるのかどうか、また、彼らの政策は具体的にどのようなものになるのか――はまだわからない。

 ムバラク大統領の辞任がまだ不透明だった9日、ムスリム同胞団の指導評議会(Guidance Council、12人で構成)の改革派のひとり、エッサム・エルエリァン氏は声明を発表、同胞団はイスラム国家の創設を求めておらず、男女平等とキリスト教徒を認め、イスラエルとのキャンプデービッド合意を破棄しない方針だと明らかにした。これとは異なる信条を過去に示した者は誤解されており、ムスリム同胞団を代弁していないとエルエリァン氏は述べた。

 ムスリム同胞団は、1928年にスエズ運河の町イスマイリアで22歳の学校教師が創設した。同組織は1940年代、英国の占領と闘うために暴力も行使した。

 1952年には、青年将校らと協力して国王を追放。ガマール・アブドゥル・ナセル氏を大統領の座に就けたが、その2年後にはナセル大統領暗殺の企てに関与したとされた。ナセル大統領はムスリム同胞団に対して厳しい弾圧を行い、指導部を投獄、党員は国外追放された。

 ムスリム同胞団は1972年に正式に暴力を放棄したが、一部は武力的な道に進んだ。一部の元党員は、1981年のサダト大統領暗殺に関与したグループを創設、別のメンバーはアルカイダと組んだ。

 1970年代末から1980年代初め、左派の古参メンバーとイスラム学生活動家は、大学を舞台に互いに激しく対立した。この対立などで、エジプトの野党は影響力を失っていった。

 しかし、2005年の議会選挙でムスリム同胞団は大勝利を収め、88議席と過去最高の議席を獲得した。同胞団は公式には非合法組織であるものの、無所属として候補者擁立を許された。

 政治から距離を置く強硬派と比べ、多くのムスリム同胞団の議員は現実主義だ。他のグループとの交渉に積極的で、譲歩も厭わない。議会で非常事態法の延長に注力したことで、世俗主義の野党指導者から賛同を得た。

 また、ムスリム同胞団の議員は、司法の独立を主張し、報道の自由を推進。出版規制もせず、女性にイスラム的な服装を強制することもしなかった。

 エジプト政府は、ムスリム同胞団の議会での成功に対して、非情な弾圧で応酬した。強硬派の指導者ではなく、穏健派を弾圧したのである。

 逮捕された数百人には、教育や医療改革法案の作成を手掛けた18人のムスリム同胞団議員が含まれていた。指導評議会のメンバー12人のうち、現実主義者のリーダー格も逮捕された。

 穏健派の逮捕によって生じた力の空白は、守旧派によってすぐに埋められた。守旧派は2007年、穏健派の主張を大部分なぞった政策要綱を発表した。

 要綱は、女性とキリスト教徒に大統領への立候補資格を認めない内容だった。宗教的な評議会が法律の署名を行うことも求めていた。

 同胞団の内部では、守旧派と改革派の対立が表面化し始めた。穏健派は、政策要綱は素案に過ぎず、正式に採用されることはないと批判した。

 関係筋によると、2008年に行われた指導評議会の選挙は強硬派が圧勝し、改革派の当選は1人にとどまった。

 この時期、ネットを通じて他のグループの活動家との関係が構築された、とムスリム同胞団の青年部のカリム氏は言う。「新たなメディアによって、他との連携ができた。人権問題や政治問題など、共通点があるということに気が付いた」とカリム氏は述べた。

 従来、ムスリム同胞団と世俗主義政党の連携は、トップダウン型で、政治的な必要性に迫られた短命の性格を帯びていた。しかし現在、ムスリム同胞団と協力関係にある若い活動家は、直近の連携はもっと有機的なものだとしている。

 守旧派が指導部で影響力を増すなか、カリム氏と若い幹部の不満は膨らんでいった。カリム氏らは、世俗主義活動家のように民主主義を求めて抗議しなければ、国民の支持を失うと年配者に訴え始めた。

 08年11月、ムスリム同胞団の当時の最高指導者マハディ・アキフ氏は、「エジプトでみられる専制」に対抗するため、「全政治勢力および市民社会の結集」を呼びかけた。

 アキフ氏からはコメントは得られていないが、内部関係者によると、指導部が若年幹部の離反を招くリスクを認識したことが転換点となった。

 2010年2月、野党グループの連携を促すため、エルバラダイ氏がエジプトに戻った時、ムスリム同胞団はエルバラダイ氏を支持、正式に連携を決めた。

 1月のチュニジア暴動後、カリム氏を含むムスリム同胞団の青年らは他の青年活動のリーダーと密かに会い、エジプトで同様の蜂起を計画することを決めた。

 カリム氏を含む青年リーダー12人は、治安部隊を出し抜くためにはどのようにデモを実施したらよいか、2週間密談を重ねた。

 当初、ムスリム同胞団の指導部は、青年達の努力にお墨付きを与えなかった。しかし最終的には、個人参加の扱いでデモを許可。また、過去のムスリム同胞団ならやっていそうな、「イスラムこそが解決手段」といった宗教スローガンを掲げることや、コーランをかざすことを控えることでも合意した。

【関連記事】
バーレーンでの反政府デモ続く-犠牲者への追悼も
イラン政府、反政府デモの弾圧強化
トピックス:緊迫する中東情勢
【日本版コラム】イラクなど取材するフリー記者から生の声-大手メディアとの違いも
【オピニオン】ラムズフェルド元国防長官が証言する「歴史の1ページ」
Posted at 00:53 in Photo | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.